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イエモンJAM嫌い?歌詞の意味?放送禁止!批判は乗客に日本人はいませんでした元ネタ!Mステ?PVの女の子

イエモンのJAMの歌詞が嫌い?放送禁止!意味?批判は乗客に日本人はいませんでした!Mステ?PVの女の子

990年代半ば。日本はバブル経済が終わり、どこか閉塞感が漂っていました。

さらに、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件といった、これまでに経験したことのないような出来事が相次ぎ、人々の心には言いようのない不安や虚しさが広がっていた時代です。

そんな時代の空気を敏感に感じ取り、退廃的でありながらも美しいメロディと、むき出しの感情を歌い上げるロックサウンドで、日本の音楽シーンに強烈な印象を残したバンドがいました。

それが、THE YELLOW MONKEY(ザ・イエロー・モンキー、通称イエモン)です。彼らが1996年2月29日に発表した楽曲「JAM」は、ただのヒット曲というだけでなく、まるで一つの社会現象のように、今でも多くの人々の記憶に深く焼き付いています 。

項目内容
バンド名THE YELLOW MONKEY
略称イエモン
結成年1988年
メンバー吉井和哉(ボーカル・ギター)、菊地英昭(ギター)、廣瀬洋一(ベース)、菊地英二(ドラムス)
レーベルTRIAD/日本コロムビア、
ファンハウス、
ATLANTIC/ワーナーミュージック・ジャパン
目次

イエモンJAM嫌い?歌詞の意味?乗客に日本人はいませんでした元ネタ

イエモンJAM嫌いはなぜ

この曲がリリースされた当時、多くの若者たちは、その歌詞に自分自身の姿を重ね合わせ、共感すると同時に、ある種の衝撃を受けました。

美しいメロディに乗せて歌われるのは、あまりにも直接的で、時には残酷とも思えるような言葉たちでした。

それは、何かを大声で主張するというよりも、むしろ聴いている一人ひとりに「あなたはこの状況をどう思いますか?」と、静かに、しかし鋭く問いかけてくるかのようでした。

だからこそ、「JAM」は発表から25年以上経った今でも色褪せることなく、新しい世代のリスナーをも巻き込みながら、その歌詞が持つ意味を改めて問い直され続けているのです。

項目内容
曲名JAM
アーティストTHE YELLOW MONKEY(略称:エモン)
作詞・作曲吉井和哉(イエモンのボーカル・ギター)
編曲THE YELLOW MONKEY
レーベルTRIAD/日本コロムビア
発売日1996年2月29日
収録アルバムFOUR SEASONS(1995年)
ジャンルロック
オリコン最高位6位(週間)
主な受賞第38回日本レコード大賞・優秀作品賞
主なテレビ出演ミュージックステーション(1996年2月23日)

タイトル「JAM」に込められた混沌とした感情と時代の閉塞感の象徴

楽曲のタイトルである「JAM」という言葉を聞くと、音楽の即興演奏である「ジャム・セッション」を思い浮かべるかもしれませんが、この楽曲においては少し違う意味合いが強いようです。

歌詞の内容や曲全体の雰囲気から考えると、ここでの「JAM」は、色々な考えや感情、あるいは社会の出来事がごちゃ混ぜになって、身動きが取れないような状態、つまり一種の閉塞感や混沌とした状況を象徴していると考えられます 。

ある分析によれば、主人公の頭の中が「様々な想いが浮かび、巡り、重なり、身動き取れない状態」であり、それらが「心の中に溜まって、出口を探している」様子を指していると考察されています 。

このタイトルは、曲の主人公が抱えている心の中の葛藤や、彼を取り巻く世界の不確かさを示唆しているのかもしれません。喜びも悲しみも、希望も絶望も、全てがごちゃ混ぜになった「ジャム」のような状態。

それは、特定の一人の人間だけでなく、当時の社会全体が抱えていた漠然とした不安感や、これからどうなるか分からない状況とも重なります。

作詞作曲を手掛けた吉井和哉さんがこのタイトルを選んだ背景には、単に言葉の響きだけでなく、楽曲全体を貫くテーマをこの一言に凝縮させようという意図があったのではないでしょうか。この混沌とした状態こそが、「JAM」という楽曲が生まれるきっかけであり、その後の歌詞が展開していく上での重要なヒントになっているのです。

歌詞の冒頭「矛盾の雨」と1990年代日本の空気感の巧みな描写

楽曲の冒頭を飾る「暗い部屋で一人 テレビはつけたまま僕は震えている 何か始めようと外は冷たい風 街は矛盾の雨」という一節は、聴く人を一瞬にして楽曲の世界へと引き込みます 。

特に「街は矛盾の雨」という表現は非常に印象的です。雨の音は、その時の気持ちによって聞こえ方が変わると言われるように、この「矛盾の雨」は、主人公が抱えている「様々なやるせない気持ち」を映し出していると解釈することができます 。  

この楽曲が作られた1990年代半ばの日本は、社会が大きく変化し、不安が広がっていた時代でした。

1995年には阪神・淡路大震災やオウム真理教による地下鉄サリン事件が起こり、人々の価値観を揺るがすような出来事が相次ぎました 。1996年に入っても、橋本龍太郎内閣の発足や、北海道の豊浜トンネルで岩盤が崩落する事故が起こるなど、社会的な出来事や未解決の凶悪事件などが報じられ、どこか落ち着かない空気が漂っていました 。  

このような時代背景の中で生まれた「矛盾の雨」という言葉は、単なる詩的な表現を超えて、当時の日本社会が抱えていた不条理さや、人々の心の中に渦巻いていた割り切れない感情、そして先の見えない不安感を象徴しているように聞こえます。

主人公が感じているやるせない気持ちは、個人的なものだけでなく、時代全体の雰囲気とも深く結びついているのです。この「矛盾の雨」が降る街の情景は、楽曲全体を覆うどこか物悲しく、内省的な雰囲気を決定づけていると言えるでしょう。

最大の謎:乗客に日本人はいませんでした元ネタ– 歌詞の解釈と巻き起こった批判の嵐

「JAM」の歌詞の中で、最も物議を醸し、今なお様々な意見が交わされるのが、以下のフレーズです。 「外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに「乗客に日本人はいませんでした」 「いませんでした」 「いませんでした」」 。  

この一節は、その内容があまりにも衝撃的だったため、特に発表された当時は大きな反響を呼びました 。

一部からは「日本人が含まれていなければ他人事なのか」という報道姿勢への痛烈な皮肉だとして高く評価される一方、「愛国心がない」「不謹慎だ」といった批判的な声も上がったのです。

実際、ボーカルの吉井和哉自身もこの歌詞について「そこ(※この部分)は賛否両論ですよね」と述べており、世間で意見が割れた箇所であることを認めています

この歌詞をどう解釈するべきか考える上で重要なのは、「ニュースキャスターは嬉しそうに」という部分です。

多くの分析では、実際にニュースキャスターがそのような表情や声色で伝えたのではなく、主人公自身の精神状態や、先ほど触れた「矛盾の雨」に象徴されるような世の中に対する冷めた視点を通して、そのように「聞こえた」あるいは「感じた」のだと解釈されています  

しかし、この歌詞が生まれた背景には吉井の実体験がありました。彼は制作当時、「深夜のバラエティ番組でバカ騒ぎしているスタジオに速報が入り、アナウンサーが現地の飛行機事故を伝えるのを目にした」と語っています。

その際、ニュースキャスターが安堵したような笑顔で「乗客に日本人はいませんでした」と告げる様子を目に焼き付け、「自国民が無事だったことに安心する気持ちは分かるが、笑顔で伝えるのはおかしいのではないか?」という疑問が湧いたと言います。

この違和感こそが『JAM』の歌詞の核となっており、日本のメディアや人々の意識に潜む無関心やナショナリズムを浮き彫りにする象徴的な表現になったのです。

参考元:イエモン・吉井和哉「JAM」制作秘話 “賛否両論”の歌詞は「深夜番組でニュースキャスターの人が…」(スポニチ)

「JAM」の放送禁止に関する事実関係

過激な歌詞ゆえに「『JAM』は放送禁止になった」という都市伝説めいた噂を耳にしたことがある方もいるかもしれません。しかし、結論から言えば**「JAM」が公式に放送禁止措置を受けた事実は確認されていません。

確かに、日本の放送業界には差別用語や不適切表現に対する自主規制が存在し、放送を見合わせるケースもあります。例えば海外ではセックス・ピストルズの曲がBBCで放送禁止になった例などが知られていますが、『JAM』の場合、そうした明確な処分が下されたという証拠は見当たりません。

とはいえ、リリース当時の社会情勢や歌詞のインパクトを考えると、局や番組によっては自主的に放送を控えた可能性は否定できません。

事実、深夜ラジオなどではリスナーからの抗議を避けるため問題の一節を伏せたり、ライブ番組でも歌詞テロップに工夫が凝らされたこともあったようです(当時のテレビ朝日系音楽番組『ミュージックステーション』では曲紹介テロップに「衝撃的な歌詞で当時話題に」といった注意書きが表示されたとの指摘もあります)。

しかし公式な「放送禁止曲」リストに『JAM』が載ったわけではなく、あくまで噂や誤解が独り歩きした面が強いと言えるでしょう。

要するに、『JAM』はその刺激的な歌詞表現から“危険な曲”として半ば伝説化されましたが、イエモン側が意図的に挑発的なメッセージを発信したわけではありません。

前述したように、この曲は当時の報道に対する疑問や平和への祈りを込めたものであり、一節だけを切り離して「放送禁止だ」と騒ぎ立てるのは本質を見失った解釈と言えます。

イエモンのJAMのミュージックステーション(Mステ)出演と「JAM」PVの女の子

1996年3月8日の放送回とその他の出演記録 – 「JAM」はMステでいつ歌われたのでしょう?

THE YELLOW MONKEYは、Mステに何度も出演しており、「JAM」も複数回披露されています。記録によれば、初めて「JAM」をMステで演奏したのは、楽曲がリリースされた日(1996年2月29日 )から間もない1996年3月8日でした 。この時期の出演は、楽曲の持つ挑戦的な歌詞を、広く一般の視聴者の皆さんに届けたという点で、非常に大きな意味を持っていたと言えるでしょう。  

その後も、バンドが再集結した後などにも、「JAM」はMステで演奏されています。例えば、2017年9月18日や2019年12月27日にも同番組で「JAM」を披露しており、時代を超えてこの楽曲が彼らにとって重要なレパートリーであり続けていることを示しています 。  

THE YELLOW MONKEY 「JAM」 ミュージックステーション出演記録

出演年月日披露楽曲 (「JAM」を含む場合)出典
1996年3月8日JAM
2017年9月18日JAM
2019年12月27日JAM

このエピソードからもうかがえるように、当時のイエモンにとって『JAM』は単なるヒット曲以上の特別な想いのこもった曲だったのでしょう。

実際、事務所やレコード会社の一部には「暗く長いバラードをシングルにするのは売れ線ではない」という反対意見もあったと言います。しかし、それを押し切ってでも世に出したかった曲が『JAM』だったのです

。再結成後の2016年末にはNHK『紅白歌合戦』でも『JAM』が歌唱され、国民的な名曲としてお茶の間に届けられました。さらに2019年には再びMステの年末特番『ウルトラSUPER LIVE』でパフォーマンスされ、往年のファンも新しい世代も共にそのステージに熱狂しました。

こうした節目節目での披露を通じ、『JAM』はバンドの象徴的なナンバーであり続けていることが改めて印象付けられています。

PVに登場する「女の子」の謎:その正体と映像表現に込められた意図とは?

『JAM』の世界観はミュージックビデオ(MV/PV)でも巧みに表現されています。この**『JAM』のPVは他ならぬ吉井和哉本人が監督を務めており、その映像にも歌詞同様に強いメッセージが込められました。PVには、物語の象徴として当時小学4年生の男の子と小学5年生の女の子**が登場します。

彼らは曲中の〈過ちを犯す男の子 涙化粧の女の子…〉という歌詞にもリンクする存在で、**汚れのない純粋な「少年」と「少女」**というモチーフを通じて「たとえ世界が終ろうとも変わらない純粋な愛」を表現しているとも解釈できます。

実際、PVに出てくる二人の子供は手を取り合いながら廃墟のような街を歩く場面が印象的で、混沌とした世界の中でも純粋な絆が希望として描かれているように感じられます。

このPVに出演した子供たちについて、男の子は当時11歳前後で三嶋啓介さんという名前が判明しています。

彼はその後も芸能活動を続けていたためスタッフが比較的容易に所在を突き止めることができたそうです。

一方で女の子の方は情報が少なく、資料上では具体的な名前を確認することができませんでした。

どうやらプロの子役というより一般から起用されたのか、その後は表立った活動をされていないようです。当時小学5年生とのことなので、年齢的には男の子より一つ年上の女の子だったことになります。

興味深いエピソードとして、2007年に吉井和哉が発表したソロ曲「バッカ」のPVでこの『JAM』の少年少女が再登場を果たしています。

高橋栄樹監督の手による「バッカ」PVは『JAM』のPVとリンクした内容になっており、大人になった二人(当時20代前半)をキャスティングしているのです。

男の子役は芸能界に残っていたためすぐに見つかったものの、女の子役の方はなかなか所在が掴めずスタッフがかなり苦労したとも伝えられています。

最終的には「約11年の時を経ての再会」が実現し、PVの中で成長した二人が再び意味深な存在感を示す演出となりました。

この事実は、『JAM』という作品がバンドやファンにとってどれほど特別であるかを物語る微笑ましい裏話と言えるでしょう。

まとめ:イエモンJAM嫌い?歌詞の意味?放送禁止!批判は乗客に日本人はいませんでした元ネタ!Mステ?PVの女の子

「JAM」は、社会の矛盾や人間の心の奥深くに鋭く切り込みながらも、最終的には個人的な「君に逢いたい」という純粋な感情にたどり着きます。この絶妙なバランス感覚が、多くの人々を惹きつける要因なのでしょう。

物議を醸した歌詞も含め、この楽曲が持つ多面性や深みが、単なるヒット曲を超えた「事件」として、そして「名曲」として、今後も長く語り継がれていくことは間違いありません。それは、THE YELLOW MONKEYというバンドが日本の音楽史に残した、極めて重要な達成の一つなのです。

イエモンのJAMの歌詞が嫌い?放送禁止!意味?批判は乗客に日本人はいませんでした!Mステ?PVの女の子

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yoshilover'sblogプロ野球好きの管理人のヨシラバーです。!ブログは2017年からやっているよ!住まいは東京です。東京ドームの近くです。スポーツを見にちょいとが高じて知識はほぼ専門家です。幼少期のころから野球の練習・観戦していたため、長年において積み上げた知識は誰にも負けないと自負しています。目指してた野球選手にはなれなかったため発信する場はありません。プロ野球への思いを発信する場としてまたそれが皆様の知識として役立てることができればと思ったことが、このメディアを起こした理由です。

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