Mr.Childrenの名曲「タガタメ」。重厚なサウンドと問いかけるような歌詞は、多くの人の心に深く刻まれています。しかし、その真意や背景については、「どんな意味があるの?」「きっかけになった事件は?」「『嫌い』や『逃げて』という声の噂は本当?」といった疑問を持つ方も少なくありません。
また、よく似たタイトルの「タダダキアッテ」との違いも気になるところです。この記事では、これらの疑問に答えるべく、「タガタメ」という楽曲を多角的に徹底解説していきます。発表から時を経ても色褪せないメッセージの核心に迫りましょう。
項目 | 詳細 |
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アーティスト | Mr.Children |
アルバム | 『シフクノオト』(11thアルバム) |
リリース年 | 2004年 |
CMソング | カップヌードル「NO BORDER」 |
イメージソング | 愛・地球博「国際赤十字・赤新月パビリオン」 |
歌詞のテーマ | 平和、未来、愛 |
制作背景 | 未成年事件を受けて制作された |
ミスチル「タガタメ」WIKIの意味とは?歌詞とタイトルに込められた深層心理
Mr.Childrenの楽曲の中でも、特に深いメッセージ性と重厚なサウンドで知られる「タガタメ」。この曲が持つ「意味」について、タイトルと歌詞の両面から掘り下げていきましょう。
タイトル「タガタメ」の由来:ヘミングウェイと方丈記からの影響
まず、「タガタメ」という印象的なタイトルは、文字通り「誰(た)が為(ため)に」という意味です。この言葉の響きから、多くの人がアメリカの文豪アーネスト・ヘミングウェイの代表作『誰がために鐘は鳴る』を連想します。
スペイン内戦という過酷な状況下での人間の尊厳や連帯を描いたこの小説と同様に、「タガタメ」というタイトルにも、争いへの疑問や平和への切実な願いが込められていると考えられます。
さらに、一部の考察では、鎌倉時代の随筆『方丈記』との関連も指摘されています。
『方丈記』には「誰が為(タガタメ)」という言葉が登場し、世の無常や執着を手放すことの重要性が説かれています。「タガタメ」が問いかける争いの根源にあるものや、その虚しさといったテーマは、『方丈記』の思想と通じる部分があるかもしれません。
単なる偶然かもしれませんが、タイトル自体が持つ歴史的・文学的な深みが、楽曲の重層性を暗示しているようです。
歌詞の中心テーマ:「子供らを被害者に 加害者にもせずに」という問い
「タガタメ」の歌詞の中で、最も核心的なメッセージを投げかけているのが、「子供らを被害者に 加害者にもせずに この街で暮らすため まず何をすべきだろう?」という一節です。
これは、後述するような痛ましい事件を背景に、未来ある子供たちを社会全体でどのように守っていくべきか、という非常に重く、そして切実な問いかけです。
さらに、「でももしも被害者に 加害者になったとき 出来ることと言えば 涙を流し 瞼(まぶた)を腫らし 祈るほかにないのか?」と続きます。
これは、万が一悲劇が起きてしまった際の無力感や、祈りだけではどうにもならない現実へのやるせなさ、そして「そうなる前に何とかしなければならない」という強い問題意識を示唆しています。単なる理想論ではなく、厳しい現実を踏まえた上での問いかけであることが、この歌詞の重みを生んでいます。
また、「左の人 右の人 ふとした場所で きっと繋がってるから 片一方(かたいっぽう)を裁(さば)けないよな 僕らは連鎖する生き物だよ」という歌詞も重要です。これは、人間社会の相互依存性を示し、個人の問題に見えることも社会全体と無関係ではなく、責任もまた連鎖しているという認識を促します(参考:FK氏ブログ)。単純な善悪二元論では割り切れない、複雑な現実への眼差しが感じられます。
根底にある思想:釈迦の教えと「愛すこと以外にない」の真意
桜井和寿さんはインタビューで、楽曲制作の際に釈迦の説話(芥子種の物語)に救いを見出したと語っています。亡くした子を想う母親が、死者を出したことのない家を探し求めるが見つからず、死の普遍性を受け入れる、というこの物語。桜井さんはここから「生きている者は生きたまま愛し、死んだ者は死んだまま愛してあげればいい」という考えに至り、それを楽曲に込めたと述べています。
これは、変えられない現実を受け入れつつも、今ここにある命や繋がりを大切にする、という姿勢を示しているのかもしれません。
そして楽曲は、「相変わらず 性懲りもなく 愛すこと以外にない」というフレーズで締めくくられます。
これは、様々な葛藤や無力感を経た上で、それでもなお、他者を思いやり、繋がりを信じ、愛し続けることしか、私たちに残された道はないのではないか、という境地を示していると解釈できます。
ただし、この結論については後述するように、様々な受け止め方があります。
「タガタメ」制作のきっかけとなった「事件」とは?社会への応答

「タガタメ」が持つ切迫感や社会への問いかけは、発表当時の日本の社会状況と深く結びついています。特に、子供たちが関わる痛ましい「事件」が、制作の大きなきっかけとなったと言われています。
影響を与えたとされる具体的な事件:長崎と赤坂(旧渋谷報道)
複数の情報源や桜井さん自身の発言から、特に以下の二つの事件が「タガタメ」の制作に影響を与えたと考えられています。
- 長崎男児誘拐殺人事件(2003年7月): 12歳の少年が4歳の男児を殺害するという、加害者もまた子供であった衝撃的な事件。
- 赤坂小学生監禁事件(2003年7月発覚、旧渋谷報道): 男性が小学生の少女たちを長期間監禁していた事件。
これらの事件は、子供が被害者となる悲劇であると同時に、加害者側の問題や社会の歪みをも浮き彫りにし、多くの人々に衝撃と不安を与えました。
「子供らを被害者に 加害者にもせずに」という歌詞は、こうした現実に対する強い危機感から生まれたものと言えるでしょう。
桜井和寿の視点:被害者と加害者、双方への想い
桜井さんはインタビューで、これらの事件に触れ、「被害者の親御さん達の気持ちも計り知れないものがあるかもしれないけれど、加害者になった親の気持ちってどうなんだろうなと思ってた」と語っています。
これは、単に被害者側に立つだけでなく、加害者を生み出してしまった背景や、その家族が負うであろう苦悩にも想像力を働かせていることを示唆しています。
一方的に断罪するのではなく、問題の根源や社会構造にまで目を向けようとする、複雑で深い共感の視点が、「タガタメ」という楽曲の奥行きを与えている要因の一つと考えられます。
ミスチルのタガタメのなぜ「嫌い」の声が?「逃げて」という都市伝説の真相

「タガタメ」はそのメッセージ性の強さから、一部で「嫌い」という反応や、「逃げて」という謎の声が聞こえるといった都市伝説も生まれています。これらの背景を探ってみましょう。
「タガタメ」が「嫌い」と言われる理由:重いテーマと結論への反応
「タガタメ」に対して「嫌い」という感情を抱く人がいる背景には、いくつかの理由が考えられます。
- テーマの重さ: 楽曲が扱う、子供を巡る事件、社会の歪み、争いといったテーマは非常に重く、聴く人によっては精神的な負担を感じさせることがあります。音楽に安らぎや娯楽を求める人にとっては、あまりにも直接的で、辛い現実を突きつけられるように感じられるかもしれません。
- 結論への違和感: 最終的に「愛すこと以外にない」という結論に至ることについて、「ナイーブすぎる」「現実逃避ではないか」「問題の解決になっていない」といった批判的な意見が存在します。悲劇を前にした無力感をリアルに描きながらも、その応答が「愛」という抽象的なものに集約される点に、割り切れない感情を抱く人もいるようです。
- 加害者側への視点: 桜井さんが言及した「加害者の親の気持ち」への共感の視点が、一部の聴き手にとっては受け入れがたいと感じられる可能性も考えられます。
これらの要素が複合的に絡み合い、「タガタメ」に対して「嫌い」というネガティブな感情を抱かせる要因となっていると考えられます。それは楽曲の欠陥というよりは、それだけ強い問いかけを孕んでいることの裏返しとも言えるでしょう。
「逃げて」の声は本当?噂の出所と有力な説
「タガタメ」の特定の箇所で「逃げて」という声が聞こえる、という噂は、ファンの間で都市伝説として語り継がれています。
- 噂の内容: アルバム『シフクノオト』収録版のCD音源、3分23秒〜24秒付近、「何も考えないで行こう タ タカッ テ」の「タカッ」という部分の左チャンネルから、微かに「逃げて!」または「逃げてー」という、かすれたような声が聞こえる、というものです(参考:タダダキアッテのブログ、ap park fesブログ)。実際に聞こえた、鳥肌が立った、という報告も複数あります。
- 公式見解: この声について、Mr.Childrenのメンバーやレコード会社からの公式な発表や言及は一切ありません。桜井さんと田原さんは、この件について尋ねられた際に「わからない」「聞こえない」と答えた、という伝聞情報もありますが、真偽は不明です(参考:タダダキアッテのブログ)。
- 有力な説: では、この「声」の正体は何なのでしょうか? 心霊現象などと結びつける声もありますが、より現実的な説として以下のものが挙げられます。
- 楽器のノイズ: 特に有力視されているのが、**エレキギターの弦を指で擦った際の音(スクラッチノイズ)**です。特に低音弦を強く擦ると「シャー」という音が出ることがあり、それが人の声のように聞こえてしまう、というものです(参考:ap park fesブログ)。
- 偶発的なスタジオノイズ: レコーディング中にマイクが拾った物音や、機材ノイズが偶然声のように聞こえる可能性。
- 空耳・心理効果: 人間の脳が、曖昧な音の中に意味のあるパターン(言葉など)を見出そうとする心理現象(パレイドリア)。
ミキシング時に意図的に残されたノイズが「無関心への警告音」として機能している可能性も示唆されていますが、これも推測の域を出ません。
結論として、「逃げて」という声が聞こえるという噂は存在するものの、公式な確認はなく、楽器のノイズである可能性が高いと考えられます。都市伝説として興味深い話題ではありますが、事実として断定することはできません。
「タガタメ」と「タダダキアッテ」の決定的な違い

「タガタメ」について語る上で欠かせないのが、非常によく似た楽曲「タダダキアッテ」の存在です。この二つの曲の違いを理解することで、「タガタメ」への理解もより深まります。
「タダダキアッテ」は原曲:誕生の経緯
「タダダキアッテ」は、2008年発売のシングル「HANABI」のカップリング曲として収録されました。実はこの曲こそが、「タガタメ」の原型、つまりデモバージョンに近いものなのです。
元々、桜井さんは「タガタメ」のメロディを、もっと軽快で陽気なカントリー調の楽曲として構想していました。しかし、レコーディング直前に衝撃的なニュースに触れたことで歌詞がシリアスな方向へ急転換。それに伴い、プロデューサー小林武史さんの助言もあって、アレンジも現在の重厚なロックバラード調(「タガタメ」として発表されたバージョン)へと変更された、という経緯があります(参考:ap park fesブログ、SOY’S FACTORY OFFICIAL SITE)。
そして、数年後、その当初のカントリー調のアレンジに近い形で再録音され、「タダダキアッテ」として発表されたのです。つまり、「タガタメ」が社会的なメッセージを込めて大きく姿を変えた完成形、「タダダキアッテ」がその元となった、よりパーソナルで温かみのある原型、という関係性と捉えることができます。
アレンジと歌詞の順番:二つのバージョンが持つ印象の違い
「タガタメ」と「タダダキアッテ」の最も大きな違いは、アレンジとサウンド、そして歌詞の構成(順番)です。
- アレンジとサウンド:
- タガタメ: 重厚なバンドサウンド+ストリングス。シリアスでドラマティック。テンポはBPM164と比較的速いが、曲調は重い。
- タダダキアッテ: アコースティック楽器中心のカントリー調。軽快で牧歌的、リラックスした雰囲気。テンポはBPM90とゆったり。
- 歌詞の順番:
- 使われている言葉はほぼ同じですが、ブロックの順番が入れ替わっています。特に、「子供らを被害者に 加害者にもせずに~」という核心的な問いかけが、「タガタメ」では1番サビに登場するのに対し、「タダダキアッテ」では2番サビに配置されています(参考:タダダキアッテのブログ)。
この違いは、楽曲全体の印象を大きく左右します。「タガタメ」は冒頭から核心を突き、聴き手に重い問いを投げかけます。一方、「タダダキアッテ」は、より日常的な情景や「ただ抱き合う」という行為が先に描かれ、核心的な問いが後から提示されるため、同じ歌詞でも受ける印象がややマイルドになり、温かみや希望を感じさせる、という意見があります。
「タガタメ」が“痛みを伴う問い”だとすれば、「タダダキアッテ」は“抱擁としての答え”の一つの形、と言えるかもしれません。同じテーマに対して、異なる角度と温度感でアプローチした二つのバージョンが存在することで、Mr.Childrenがこの問題にいかに深く、そして多角的に向き合っているかが示されています。
まとめ:ミスチルのタガタメWIKIの意味は?事件や嫌い逃げての声はなぜ?タダダキアッテの違い
Mr.Childrenの「タガタメ」は、「誰がために」というタイトル通り、社会や他者への深い問いかけを投げかける楽曲です。
その背景には、長崎や赤坂で起きた痛ましい事件があり、桜井和寿さんの個人的な想いと社会への視線が色濃く反映されています。「嫌い」という声はテーマの重さ故、「逃げて」の声は楽器ノイズ説が有力です。
「タダダキアッテ」はアレンジと歌詞の順番が異なる原曲であり、二つのバージョンを聴き比べることで、楽曲の多面的な魅力に触れることができます。ぜひ、改めて「タガタメ」を聴き、そのメッセージに耳を傾けてみてください。
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