野球界の伝説といえば松井秀喜です。高校時代の活躍は今なお語り継がれています。
星稜高校で松井は、当初投手として入部しましたが、すぐに野手に転向します。一塁手を経て三塁手となり、1年生から4番打者を務めました。
甲子園では計4回出場し、特に1991年春の選抜大会では2打席連続本塁打、1試合7打点という驚異的な成績を残しました。しかし、最も有名なのは1992年夏の甲子園、明徳義塾戦での5打席連続敬遠。この戦術は国内外で大きな議論を呼び、野球の在り方について再考を促すきっかけとなりました。
スタンドからは「帰れ」コールが起こり、社会問題にまで発展したこの試合。松井の高校野球人生を象徴する出来事となったのです。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 松井 秀喜 (まつい ひでき) |
愛称 | ゴジラ |
生年月日 | 1974年6月12日 |
出身地 | 石川県能美郡根上町(現:能美市) |
身長 | 188 cm |
体重 | 95 kg |
血液型 | O型 |
投打 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、指名打者 |
プロ入り | 1992年ドラフト1位(読売ジャイアンツ) |
日本球界在籍 | 1993年〜2002年(読売ジャイアンツ) |
MLB在籍 | 2003年〜2012年 |
松井秀喜の星稜高校時代や甲子園の成績と記録!ポジションを調査
松井秀喜の星稜高校時代や甲子園の成績と記録
松井秀喜は星稜高校時代において、非常に注目される選手でした。彼の高校野球キャリアは、特に甲子園での活躍によって際立っています。松井は1990年から1992年までの間に、甲子園に4度出場しました。
年 | 大会 | 打率 | 本塁打 |
---|---|---|---|
1990年夏 | 甲子園 | .000 | 0 |
1991年夏 | 甲子園 | .267 | 1 |
1992年春 | 甲子園 | .600 | 3 |
1992年夏 | 甲子園 | .250 | 0 |
松井の高校通算成績は非常に優れたもので、通算打率は.450、本塁打は60本という記録を残しました。彼は入学当初から4番打者として活躍し、「北陸の怪童」と称されるほどでした
松井秀喜星稜高校に入学、野球は大学までやれれば
星稜高校監督の山下からの熱烈な勧誘や、中学野球部監督やコーチの高桑らに薦められ、星稜に進学することに決めた。
「野球は大学までやらせてもらえれば」という程度だったが、高校時代に打者として注目を浴びるにつれて、高校を卒業してプロ入りする思いが強まっていったといいます。
ポジションは投手からファースト、そして三塁へ!
投手として入部したが、すぐに野手(一塁手)に転向します。
その後、三塁手に転向します。
星稜高校の入学式前から野球部の練習に参加し、1年生から4番打者を務め「北陸の怪童」「星稜恐怖の1年生4番」として、話題となりました。
本塁打もこの頃から推定飛距離で140mを超すものもあったが、夏の甲子園では初戦の対日大鶴ヶ丘戦で難波投手に3打数0安打で押さえ込まれチームは初戦敗退し、「甲子園は怖いところです」と話しています。
松井秀喜の星稜高校2年目!
高校2年の夏の甲子園では、3回戦の竜ヶ崎一高校戦でライトスタンドに甲子園初本塁打を放ちます。
準々決勝では松商学園に勝利して北信越大会の借りを返す。
夏休みに部内で体力測定を行った際、背筋力250kg、バーベル上げ150kgを出しています。
松井秀喜の5打席連続敬遠!賛否!帰れコール!海外の反応を調査
1992年の夏の甲子園での「5打席連続敬遠」の賛否
に注目すべきは、1992年の夏の甲子園での「5打席連続敬遠」の出来事です。
この試合は明徳義塾高校との対戦で行われ、松井は全ての打席で敬遠され、一度もバットを振ることなく試合を終えました。この戦術は大きな議論を呼び、高野連が記者会見を開く事態にまで発展しました。
松井自身も試合後、「野球らしくないとは思うが、歩かせるのも作戦ですから、自分がどうこう言えるものではない」とコメントしています
夏の甲子園は2回戦の明徳義塾高校戦で敗退しましたが、この試合で松井が受けた5打席連続敬遠は、高野連が急遽記者会見を開くなど、社会問題にまで発展します。
この事件は、高校野球における「勝利至上主義」と「スポーツマンシップ」の対立を象徴する出来事となり、多くの議論を呼び起こしました。
明徳義塾の馬淵監督は「勝つためにはこれしかなかった」と戦術を正当化しましたが、多くの人々はこの戦術を「卑怯」と捉えました。日本のスポーツ文化全体に影響を与え、その後も語り継がれています。
5打席連続敬遠の海外の反応は?
この事件は日本国内だけでなく、海外でも大きな反響を呼びました。アメリカの野球ファンは、松井秀喜の才能を高く評価し、彼が後にメジャーリーグで成功することを予見していました。一方で、敬遠作戦に対しては「正々堂々と勝負するべき」という批判が多く、スポーツマンシップに関する議論を引き起こしました。
帰れコールが起きる
試合中、松井選手が打席に立つたびに敬遠が続き、観客からは「勝負しろ!」や「帰れ!」という声が上がりました。
特に5打席目の敬遠時には、スタンドから物が投げ込まれるなど、異常な雰囲気となりました。
この「帰れ」コールは、敬遠策に対する観客の強い反発を象徴するものでした
明徳義塾馬淵監督は
明徳義塾監督の馬淵史郎は試合後、「(星稜の練習を見て)高校生の中に一人だけプロの選手が混じっていた」とコメントしている。
松井秀喜のコメントは?海外の反応
松井秀喜は上原浩治にコメントをしています。
「敬遠ってのはそれまでも何度もあった」「あの試合は全部敬遠だったでしょ? それはさすがに初めてだったね」「しかもあれが高校の最後の試合だったから、そういう意味ですごい悲劇的に捉えられてるけど……」
松井秀喜のコメント「イライラはしなかったけど、『これ……俺……もう終わりだよね? 高校野球』」「20球見送って、俺の高校野球終わるんだ……」「自分は3年間、一体何をやってきたんだろう」と感じたそうです。
海外の反応もニュースになっているくらいですからね。高校生に敬遠するのは異常と捉えたのでしょうね。
星稜高校時代の通算成績は
高校通算打率は.450、本塁打は60本。
「柵越えしたものがホームラン」という松井のこだわりから、ランニングホームランは数に含まれていません。
まとめ:松井秀喜の高校時代のポジション?甲子園の成績!5打席連続敬遠海外の反応?賛否!帰れコールを調査
いかがでしたでしょうか。
松井秀喜の高校時代や甲子園の成績!ポジション!5打席連続敬遠?メンバー!明徳義塾馬淵監督に帰れコール?コメントについてお伝えします。
松井秀喜は甲子園の5打席連続敬遠があったからこそ、プロでのどんなつらいことがあっても頑張ることができした。
5打席連続敬遠された選手で騒がれたからには、プロで活躍をしないと名に恥じるとかんがえていたのですね。
高校時代は生意気なものですが、この性格には脱帽します。
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