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スピッツ『ロビンソン』の由来?歌詞怖い?ロビンソン百貨店や心中や後追い説やルララ宇宙の風に乗るの意味

スピッツ『ロビンソン』の歌詞怖い?曲名由来名前意味や後追い説や“ルララ宇宙の風

この記事では、1995年のリリース以来、世代を超えて愛され続け、スピッツの代表曲として不動の地位を確立している『ロビンソン』の奥深い世界に迫ります。

 一見爽やかなメロディの裏に隠された、タイトルの意外な由来、歌詞にまつわる「怖い」との評判、ファンの間で熱心に語られる心中説や後追い説、そしてクライマックスを彩る「ルララ宇宙の風に乗る」というフレーズの真意について、様々な情報と専門的な視点から徹底的に解説し、その魅力の核心を解き明かしていきます。

項目内容
タイトルロビンソン
アーティストスピッツ
リリース日1995年4月5日
シングル11枚目
作詞・作曲草野正宗
編曲笹路正徳&スピッツ
収録アルバム『ハチミツ』(1995年9月20日)
売上枚数162万枚超
オリコン最高位4位
目次

ロビンソンとは?ロビンソン百貨店?意外なタイトルの由来とは?

草野マサムネ氏がタイで出会ったデパートの名前

多くの人々が、その詩的な歌詞の世界観から、タイトルにも深い意味が込められていると想像するスピッツの『ロビンソン』。しかし、その由来は驚くほど日常的なものでした。

公式情報によれば、作詞作曲を手掛けた草野マサムネ氏がタイを旅行した際、偶然目にして印象に残った「ロビンソンデパート」という百貨店の名前を、制作時の仮タイトルとして使用したのが始まりとされています 。

 この「ロビンソンデパート」は、タイの地元では広く知られた大衆的な百貨店であったとのことです 。かつて日本の埼玉や札幌にも同名の百貨店が存在したため、そちらが由来ではないかという噂もファンの間ではあったようですが、公式にはタイのデパートが起源とされています 。  

このように、楽曲のタイトルが極めてありふれた、偶然とも言える出会いから生まれたという事実は、後に続く歌詞の深遠さや、聴き手が抱く多様でしばしばシリアスなイメージとの間に著しいコントラストを生み出しています。

 楽曲の歌詞は、その曖昧さ、深さ、そしてしばしば憂鬱であったり、暗いとさえ解釈されたりすることで知られています 。このシンプルな起源と、楽曲が持つ複雑な感情的・解釈的風景との間の著しい違いは、魅力的な緊張感を生み出します。

 それは、楽曲の力がその名目上のアイデンティティを超越し、意味が主にリスナーと歌詞の内容によって構築され、タイトルの起源によってあらかじめ決定されるものではないことを示唆しています。このギャップこそが、『ロビンソン』という楽曲のミステリアスな魅力を一層際立たせる要因の一つと言えるでしょう。

仮タイトルが正式採用された経緯

当初はあくまで制作過程における仮の名称でしたが、最終的にはこの「ロビンソン」という響きや語感が楽曲の雰囲気に合致したのか、あるいは他に適切な言葉が見つからなかったのか、そのまま正式な曲名として採用されることになりました 。プロデューサーを務めた笹路正徳氏も、草野氏が新曲に仮タイトルを付けることはよくあり、『ロビンソン』もその一つで、特に深い意味はなくそのまま正式タイトルになった、とインタビューで語っています 。  

草野氏のこのタイトルに対するある種の「こだわりなさ」や、笹路氏が言うところの「適当な仮タイトル」 がそのまま採用されたというエピソードは、リスナーに対して特定の解釈を強いることなく、音楽そのもの、歌詞そのものに意識を集中させようとする、彼独特のアーティスティックなスタンスの表れと解釈することもできます。

 草野氏はしばしば、自身の歌詞の解釈は個々のリスナーに委ねられていると強調しています 。タイトルの象徴性に対するこのさりげなさは、タイトル自体に埋め込まれた単一の「正しい」意味を見つけ出すことへの過度な分析的焦点をそらすための、意図的または直感的な動きと見なすことができます。

 タイトルの意図的な象徴性を軽視することで、草野氏は、歌詞全体の解釈に関する彼の広範な哲学と一致して、リスナーが歌詞と音楽全体の喚情的力とより自由かつ個人的に関わることを微妙に奨励しているのかもしれません。

ロビンソン・クルーソーとの関連性について

『ロビンソン』というタイトルから、ダニエル・デフォーの有名な小説『ロビンソン・クルーソー』を連想する人も少なくありません。実際に、楽曲のタイトルが正式に決定した後で、その物語の雰囲気をわずかに匂わせるような歌詞を後から付け加えた、という逸話も存在します 。

 しかし、これはあくまで後付けの要素であり、タイトル決定の主要な動機ではなかったとされています。このエピソードは、むしろ一度名付けられたタイトルが持つ喚起力と、それに対して草野氏が遊び心を持って応える柔軟な創作姿勢を示していると捉えることができるでしょう

スピッツ『ロビンソン』の歌詞怖い歌なのか?

多様な解釈を生む、草野マサムネ氏の歌詞世界

『ロビンソン』の歌詞が「怖い」と評されることがあるのは、その直接的な表現を避け、聴き手の想像力に大きく委ねる草野マサムネ氏特有の歌詞世界に起因します。

 彼の紡ぎ出す言葉は、日常的な風景や感情の描写の中に、ふとした瞬間に非日常的な感覚や、美しさの裏に潜む影、説明し難い不安や切なさを巧みに織り交ぜるのが特徴です 。この、一読しただけでは意味が掴みきれない「よく分からない」部分 こそが、『ロビンソン』という楽曲の核心であり、聴く人それぞれが自身の経験や感情を投影することで、無限とも言える解釈を生み出す源泉となっています。

 そして、その多様な解釈の中には、確かに「怖い」と感じさせるような側面も含まれているのです。  

草野氏の歌詞は、明確な起承転結を持つ物語を提示するのではなく、聴き手が自身の感情や経験を自由に投影できる「感情の空間」を創り出すことに長けています。「意味が分からない」「よく分からないフレーズだ」といった歌詞の曖昧さ 、そしてそれが多様な解釈を許容し、楽曲の魅力となっている点が指摘されています。

 また、草野氏の歌詞は「真逆な感覚を併せ持つ」とされ、「フワフワしてるようで現実的でもある」 と描写されるように、直線的で固定された物語を語るのではなく、感情のスペクトラム、存在の状態、夢のような雰囲気を喚起するように意図的に作られていることを示唆しています。

 そのため、同じフレーズであっても、聴く人の心の状態や置かれた状況によって、全く異なる情景や感情が喚起され、それが結果として「怖い」という感覚に繋がることもあるのです。


「二人だけの国」とは何を指すのか?

スピッツの歌詞には、一見すると抽象的だけれど、どこかノスタルジックで温かい雰囲気があります。草野さん自身、「説明しすぎず、聴いた人が自由に想像してほしい」といったスタンスで作詞を行っており、深い意味づけをあえて避けることもしばしばです。

一方で、インタビューでは「性と死」を強く意識してきたとも発言しており、その相反するテーマが“やさしさ”や“毒”を同時に内包するスピッツの魅力に繋がっているとも語られています。

楽曲のサビで印象的に歌われる「誰も触われない 二人だけの国」 というフレーズは、その解釈を巡って特に多くの議論を呼んできました。

ある人々にとっては、純粋な愛情で深く結ばれた恋人たちだけが存在できる神聖な領域、誰にも邪魔されない心安らぐ聖域を意味するかもしれません。一方で、現実の世界から隔絶された閉鎖的な空間、あるいは失われた過去の美しい記憶の中だけに存在する理想郷、さらには死後の世界や魂のみが到達できる特別な場所といった、より観念的で深遠な解釈も成り立ちます 。歌詞の中で「街でも島でも世界でもなく、国、という単位が絶妙」 と評されるように、この「国」という言葉の選択が、単なる物理的な場所を超えた、広大でありながらも排他的な精神的領域のイメージを喚起しています。  

この「二人だけの国」という言葉が喚起する可能性のある「怖さ」とは、お化け屋敷のような直接的な恐怖ではなく、むしろ愛する者との絆が絶対的なものであるが故の排他性、それが現実世界からの遊離や孤立を招くのではないかという不安感、あるいはその「国」が実は失われた存在との間でのみ成立する記憶や妄想、さらには死後の世界である可能性を示唆することから生じる、根源的な切なさや不確かさ、そして死の気配と結びつくことによるものです。「二人だけの国」は本質的に排他的な空間、二人のための聖域を意味し 、これは肯定的な側面です。しかし、そのような排他性は、より広い世界からの孤立、あるいは具体的な現実の一部ではない世界を意味することもあります。

解釈は、それが記憶、夢、あるいは死後の領域である可能性を指し示しています 。

この「怖さ」や不安感は、この境界性と曖昧さから生じます。この「国」は美しく保護された空間なのか、それとも現実からの離脱の兆候、喪失の産物、あるいは死を通してのみアクセス可能な領域なのでしょうか。その性質とアクセス可能性に関する不確かさが、「怖い」あるいは深く憂鬱であると認識される要因となり得ます。  

歌詞に漂う「死」の暗示とされる表現

『ロビンソン』の歌詞が「怖い」という印象を持たれる大きな要因として、歌詞の随所に「死」や「喪失」を巧みに暗示する表現が散りばめられている、とする解釈が数多く存在します。

例えば、2番の歌いだし「片隅に捨てられて 呼吸をやめない猫も どこか似ている」 という一節。

この「呼吸をやめない猫」の姿に、見捨てられたような状況でも必死に生きようとする主人公自身、あるいは既に失われてしまった「君」の面影、さらには両者の痛ましい姿を重ね合わせ、痛切な感情や孤独感を読み取る解釈があります。そして、その猫を「無理やり頬ずりする」という行為には、切羽詰まった愛情や、対象への強い執着が感じられるとも言われます 。  

また、「いつもの交差点で 見上げた丸い窓は うす汚れてる ぎりぎりの三日月も僕を見てた」 という情景描写も極めて象徴的です。「丸い窓」を太陽や、草野氏の歌詞世界における「死の象徴」 と捉え、それが「うす汚れてる」状態を日常の終わりや不吉な予兆、世界の変容と解釈する向きがあります。さらに、「ぎりぎりの三日月」は、生命力の衰弱や消え入りそうな希望、あるいは死が迫っている状況を暗示しているとも考えられています 。  

草野マサムネ氏の作詞家としての卓越性は、このような「死」や「喪失」の暗示を、ありふれた日常的な風景や何気ない言葉の描写の中に巧みに織り込んでいる点にあります。歌詞はしばしば、川辺の道、猫、交差点、窓といったありふれた風景を描写します。

しかし、これらの普通の要素は、不安な感情を呼び起こすように微妙に変化させられたり、文脈化されたりします。「猫」は「片隅に捨てられて呼吸をやめない」ものとなり 、「丸い窓」は「うす汚れてる」とされ、「ぎりぎりの三日月」と対比されます 。

そのため、恐怖や不安は直接的に提示されるのではなく、聴き手の心にじわじわと染み入るように作用し、より深い思索や多様な感情の揺らぎを促すのです。  

草野氏自身が過去のインタビューなどで、自身の創作活動の根底には「性(エロス)と死(タナトス)」という普遍的なテーマが存在すると公言していること を考慮すると、これらの「死」を連想させる表現は単なる偶然の産物ではなく、彼の深層心理にある死生観や人間観が色濃く反映された結果であると考えるのが自然でしょう。「二人だけの国」のような強烈な繋がり、喪失、「生まれ変わるよ」といった変容、そして終末や境界状態を想起させるイメージ(「丸い窓」、「宇宙の風」)を含む『ロビンソン』の歌詞内容は、これらの核心的なテーマを含む解釈に容易に結びつきます。

したがって、「死」に関連する解釈の広がりは単なる憶測ではなく、アーティスト自身の公言されたテーマ的関心と一致しています。歌詞の曖昧さが、これらの深遠なテーマを様々な象徴的な形で表面化させることを可能にしています。  

ロビンソンの心中説・後追い説の真相は?

ロビンソンの「歌詞が怖い?後追い?」説が生まれた理由

「いなくなった君を追いかける」主人公の心情

『ロビンソン』の歌詞を巡る解釈の中でも、特に根強く囁かれているのが「心中説」や「後追い説」です。

その根拠の一つとしてしばしば挙げられるのが、冒頭の「新しい季節は なぜかせつない日々で 河原の道を自転車で走る君を追いかけた」 という歌詞です。この一節における「君」は、既にこの世に存在しない人物であり、主人公は思い出の中の「君」の幻影を必死に追い求めている、あるいは「君」のいる世界(死後の世界)へ自らも旅立とうとしているのではないか、という切実な解釈がなされます 。

この追憶の行為そのものが、主人公の深い喪失感と現実からの遊離を際立たせているとされます。続く「思い出のレコードと 大げさなエピソードを 疲れた肩にぶらさげて」 という表現も、失われた「君」と共有したかったであろう数々の時間や言葉の重み、そしてそれがもはや叶わないことへの深い疲労感と絶望を示唆していると読み解かれます。

「そして僕ら今ここで生まれ変わるよ」が示唆するもの

心中説や後追い説を強く裏付けるとされるのが、「待ちぶせた夢のほとり 驚いた君の瞳 そして僕ら今ここで生まれ変わるよ」 という決定的なフレーズです。

「夢のほとり」という非現実的な場所での「君」との再会、そしてそこで共に「生まれ変わる」という宣言は、現世での辛い別離を乗り越え、別の次元、すなわち死後の世界や輪廻転生を経た先で、永遠の絆を再び結び直すことを強く示唆していると解釈されるのです 。

また、「驚いた君の瞳」という描写は、そこにいるはずのない「僕」(主人公)が、「君」の後を追って死を選び、その場所に到達したことに対する「君」の驚きを表している、という詳細な読み解きもなされています 。  

これらの「心中」や「後追い」といった説は、必ずしも文字通りの物理的な死だけを指すのではなく、愛する人を失った悲しみから過去の自分と決別し、精神的に生まれ変わることで故人と永遠に繋がろうとする、より比喩的な「死と再生」の物語として捉えることも可能です。

歌詞は「夢のほとり」での再会の後、「生まれ変わるよ」と明確に述べており 、これは現在の存在を超越するという解釈を直接支持します。これは文字通りの死後の再生と解釈することもできますが(自殺説に合致)、「再生」という概念はまた、古い自己や古い人生の「死」と、それに続く新しい存在状態の出現という、深遠な個人的変容の強力なメタファーでもあります。愛する人を失った文脈では、この「再生」は、その人の記憶と精神的な存在に人生を完全に捧げることを象徴し、物理的な分離を超越した形の結合を達成することを意味するかもしれません。

重要なのは、現実の制約や別離を超越した、絶対的で永続的な結びつきへの人間の根源的な渇望の現れであるという点です。

様々な説が生まれる背景と歌詞の根拠

一部の非常に具体的な解釈においては、「同じセリフ 同じ時 思わず口にするような ありふれたこの魔法」 という部分で、二人が同時に口にする「同じセリフ」が「死にたい」という絶望的な言葉であり、その共有された願望(魔法)によって「二人だけの国」すなわち死後の世界へと向かう決意を固める、という詳細な心中ストーリーが構築されることもあります 。さらに、「大きな力で 空に浮かべたら」という歌詞を、「(自ら)高いところから身を投げたら」という投身自殺の隠喩と解釈する説も存在し、これらの解釈が「怖い」という印象をより強固なものにしています 。  

しかしながら、草野マサムネ氏自身は『ロビンソン』について当初「また地味な曲作っちっゃたなー」 と感じていたとされ、その後の記録的な大ヒットにも「どうしてこんなに売れたのかわからない」 と戸惑いを見せていたことが知られています。

この事実は、彼が必ずしもこのような直接的で悲劇的な物語を明確に意図して制作したわけではない可能性を示唆しています。草野氏自身の『ロビンソン』に対する反応は「地味な曲」 であり、その大成功に驚いた というものでした。この認識は、自殺の協定や恋人を追って死ぬといった、非常に劇的で暗い解釈とは著しく対照的です 。

この不一致は、特に草野氏がリスナーの解釈の自由を擁護しているため 、リスナーの解釈を無効にするものではありません。むしろ、草野氏がそのような単一の暗い物語を意図していなかったかもしれないが、彼の曖昧さ、喚情的なイメージ、そして喪失、絶望、超越といったテーマに共鳴する歌詞のスタイルが、そのような解釈が生まれるための肥沃な土壌を提供していることを示唆しています。彼が埋め込んだ可能性のある「死」の要素は、彼の視点からはより象徴的または実存的なものであり、リスナーは楽曲の感情的な重みのために、より文字通りのシナリオにそれを外挿するのかもしれません。

とはいえ、彼の詩が持つ独特の浮遊感、切なさ、そして「死」というテーマに対する親和性が、聴き手の深層心理に働きかけ、こうした解釈を自然発生的に喚起させる力を持っていることは紛れもない事実です。

「ルララ宇宙の風に乗る」とは何が意味不明?

「ルララ宇宙の風に乗る」とは何が意味不明?

夢や願望、あるいは超越的なイメージ

『ロビンソン』のサビで高らかに歌われ、楽曲のクライマックスを象徴するフレーズ「ルララ 宇宙の風に乗る」。この言葉は、聴く者に強烈な印象を残し、様々な想像を掻き立てます。一般的には、現実世界の様々な制約や苦悩から解放され、自由な精神世界や夢想の中を心地よく浮遊するような、超越的なイメージを喚起すると考えられています 。ある解釈では、この部分は完全に主人公の妄想の世界であり、「愛」のような巨大な感情のエネルギーによって「二人だけの国」ごと宇宙に浮かび上がり、誰にも邪魔されることなく永遠に「君」の手を握り続ける、という願望の光景を描いているとされます 。  

特に「ルララ」というスキャット(意味を持たない音節の歌唱)部分が、具体的な言葉による意味の束縛から聴き手を解き放ち、純粋な解放感や高揚感、浮遊感をもたらす重要な役割を果たしています。

「ルララ 宇宙の風に乗る」というフレーズは、楽曲の繰り返されるクライマックス部分です 。「ルララ」の部分は非語彙的であり、具体的な言語的意味を迂回し、より直接的に感情的または感覚的なレベルで伝達します。 では「万能な呪文」と表現されています。「宇宙の風に乗る」は、本質的に楽な動き、自由、そして地上の制約の超越を示唆します。それまでの歌詞が積み重ねてきた切なさや葛藤からの、一種のカタルシス(精神浄化)を提供するのかもしれません。  

「二人だけの国」との関連性と「宇宙」の解釈

歌詞の流れとして、「誰も触われない 二人だけの国 君の手を離さぬように 大きな力で 空に浮かべたら ルララ 宇宙の風に乗る」と繋がっていることから 、この「宇宙の風に乗る」行為は、「二人だけの国」が物理的な現実の場所ではなく、精神的な領域、あるいは死後の世界や夢の中といった異次元の存在であることを一層強調しています 。

ここでの「宇宙」という言葉の解釈も多様です。単に星々が輝く天体空間(スペースやユニバース)を指すだけでなく、より哲学的で概念的な、世界の法則や秩序、調和といった意味合いを持つ「コスモス」に近いものとして捉える解釈も有力です 。この深遠な「宇宙の風」に乗ることは、仏教的な輪廻転生の大きな流れに身を任せることを象徴しているのではないか、という説も多くの支持を集めています 。

一方で、このフレーズをスピッツというバンド自身の成功や音楽シーンでの飛躍への願望のメタファーと解釈するユニークな視点も提示されています 。つまり、「自分たちの音楽(二人だけの国)が、大きな力(時代の追い風やファンの支持)を得て、宇宙(広大無辺なリスナー層や音楽業界全体)へと広がっていく」という、アーティストとしての野心や願いが込められているというものです。  

「再生」や「永遠」への希求か

前述の心中説や後追い説と強く結びつけて考えるならば、「ルララ 宇宙の風に乗る」という行為は、現世での死を超越した先にある「魂の再生」や、愛する人と共に過ごすことができる「永遠の時間」への、主人公の切実で強い願いを表していると解釈することができます 。形を変え、時を超えても決して失われることのない愛の理想の姿、そしてその成就への強い希求が、この軽やかでどこか切ない浮遊感に満ちたフレーズに託されているのかもしれません。  

スピッツの楽曲群には、初期の「ヒバリのこころ」や、同じく大ヒットした「空も飛べるはず」、そしてその曲が収録されたアルバム『空の飛び方』など、「飛翔」や「浮遊」をテーマとした作品が多く見受けられます 。

「ルララ 宇宙の風に乗る」もまた、このスピッツ特有のモチーフの系譜に連なるものと考えられ、現実世界の重力や様々な束縛からの解放、そしてより自由で純粋な存在への憧れや変身願望という、草野マサムネ氏の作品に一貫して流れる重要なテーマを色濃く反映している可能性があります。 は、「ロビンソン」と「空も飛べるはず」やアルバム「空の飛び方」といった飛行に関連する他のスピッツの曲やアルバムとの関連性を明確に強調し、「ロビンソン」がこの「飛行訓練」の集大成かもしれないと示唆しています。

飛行や浮遊のイメージは、しばしば自由、制約からの逃避、より高い存在状態の達成、あるいは超越を象徴します。「ルララ 宇宙の風に乗る」は、このテーマ的な星座の中に完璧に収まり、解放の究極の形、あるいは異なる領域への旅を表しています。 はさらに、別の曲「コスモス」からの「浮力」という概念に「ロビンソン」の「力」を結びつけることでこれを補強し、草野氏の作品全体におけるこれらのアイデアの相互関連性を示唆しています。

これは、「宇宙の風に乗る」が孤立したイメージではなく、草野氏にとってより大きく、重要で、繰り返されるモチーフの一部であることを示しています。

ロビンソンが与えた影響と逸話

米米CLUB石井竜也さんも衝撃を受けた

「ロビンソン」が放つメロディや詩世界に魅了され、ショックを受けたアーティストは少なくありません。

米米CLUBの石井竜也さんは、過去の番組で「『ロビンソン』みたいな完璧なメロディを作られちゃったら、自分たちはもうやりきったかなと思った」といった趣旨の発言をし、当時の解散のきっかけにもなったと明かしたことがあります。

石井さん自身、「米米CLUBでも十分心に残る曲は作れた。だからこそこれ以上求める必要があるのか疑問に思った」というような内容で語っています。こうしたエピソードからも、「ロビンソン」がどれほど同業者に衝撃を与えたかがうかがえます。

タイアップと長期的なヒット

「ロビンソン」はフジテレビ系バラエティ番組のエンディングテーマ、ドラマの挿入歌、さらには飲料メーカーのCMソングなど、さまざまなメディアに起用されてきました。ただ、最初のリリース時は大々的なプロモーションこそ少なかったものの、口コミやラジオを通じてジワジワと人気を伸ばしていったのが特徴です。

草野さん自身が「いつものスピッツの、地味な曲」と語っていた一方で、プロデューサーや周囲は「これはポップすぎるかもしれない」と感じていたというギャップも面白いところです。結局、“地味”と“ポップ”の絶妙なバランスが多くの人の心を掴んだのかもしれませんね。

まとめ:スピッツ『ロビンソン』の由来?歌詞怖い?ロビンソン百貨店や心中や後追い説やルララ宇宙の風に乗るの意味

スピッツの『ロビンソン』が放つ抗い難い魅力は、その美しいメロディライン、草野マサムネ氏の唯一無二の透明感あふれる歌声は言うまでもなく、何よりも歌詞が内包する無限とも言える多層的な解釈の可能性に集約されると言えるでしょう。

タイのデパートの名前から偶然名付けられたという意外な事実から始まり、聴く人によっては「怖い」と感じられたり、切ない恋の物語、あるいは「死と再生」という壮大なテーマが読み解かれたりする。

そして、象徴的な「ルララ宇宙の風に乗る」というフレーズは、それぞれの解釈のクライマックスとして、聴き手の心を異なる場所、異なる感情へと誘(いざな)います。

草野氏自身が「歌詞の解釈にこれといった正解はない。それぞれが感じたままである」(同様の趣旨の発言が に見られる) と繰り返し語るように、『ロビンソン』は私たち一人ひとりに、自分だけの物語、自分だけの感情を見つけ出すという、創造的でパーソナルな音楽体験の自由を与えてくれるのです。  

これからも『ロビンソン』は、その謎めいた輝きを失うことなく、時代を超えて多くの人々の心の中で、それぞれの「宇宙の風」に乗り、新たな物語を紡ぎ続けることでしょう。

スピッツ『ロビンソン』の歌詞怖い?曲名由来名前意味や後追い説や“ルララ宇宙の風

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yoshilover'sblogプロ野球好きの管理人のヨシラバーです。!ブログは2017年からやっているよ!住まいは東京です。東京ドームの近くです。スポーツを見にちょいとが高じて知識はほぼ専門家です。幼少期のころから野球の練習・観戦していたため、長年において積み上げた知識は誰にも負けないと自負しています。目指してた野球選手にはなれなかったため発信する場はありません。プロ野球への思いを発信する場としてまたそれが皆様の知識として役立てることができればと思ったことが、このメディアを起こした理由です。

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