こんにちは、yoshiloverです。
解説でよくみかける水野さんの話題です。
今ではふつうのオジサンですが、甲子園では桑田真澄と同じスーパースターであり、巨人にドラフト1位で入団し、とても華やかな野球生活だったのをご存知でしたか。晩年はケガとの戦いでしたけど。
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巨人・水野雄仁は池田高校時代で甲子園の記録・成績!「阿波の金太郎」
水野雄仁のプロフィールは?
出身地 徳島県阿南市
生年月日 1965年9月3日
身長178 cm
体重 82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1983年 ドラフト1位
初出場 1984年5月22日
最終出場 1996年10月22日(日本シリーズ第3戦)
水野雄仁の経歴は?
選手歴
徳島県立池田高等学校
読売ジャイアンツ (1984 – 1996)
コーチ歴
読売ジャイアンツ (1999 – 2001)
池田高校時代では荒木大輔・桑田真澄と対戦!「阿波の金太郎」
甲子園での活躍!「阿波の金太郎」
池田高校時代は、82年夏・83年春における史上4校目の「夏・春連続制覇」、1983年夏のベスト4進出の中心選手として活躍した。83年春・夏はエース・4番として出場し、「阿波の金太郎」と呼ばれた。
荒木大輔
82年の夏の選手権では、甲子園のスターであった荒木大輔を擁する早稲田実業学校との準々決勝では、終盤に満塁本塁打を放った。この試合で甲子園初登板も果している。
桑田真澄・清原和博
翌83年夏は史上初の夏春夏の3連覇を目指して、全国大会に出場。
準決勝では桑田真澄・清原和博のKKコンビ率いるPL学園に7対0で屈した。清原からは4三振を奪うも、桑田には左翼スタンドへの特大の本塁打を喫している
甲子園が一番盛り上がったころじゃないですかね。荒木大輔から水野雄仁に、そしてKKへとスーパースターが移り変わっていくのがわかりやすかった。
ただ、KKが今は一番有名ですが、水野も池田高校としてCMとなったり、ブームは確実につくっていましたね。
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巨人時代の活躍は?
藤田元司、長嶋茂雄両監督時代は中継ぎ、抑えとして活躍しました。しかし、2年目に肩を痛めてしまったらしいです。
9年目に右肘の遊離軟骨で苦しむなど常に怪我との戦いで1996年限りで一度引退します。
なぜ31才で巨人を退団したのか?早かった
この時にパ・リーグの数チームから話が来ているから、現役を続けたいなら話をつけてあげよう・・・みたいな事を球団から言われたそうですが、いまさら自分をクビにしたチームの世話になんかなりたくないと思い引退を決意したようなのです。
現在・今は?退団はしていない
水野の場合、やはり甲子園のスターでしたし、それが大きいのではないでしょうか。
また、巨人に限りませんが、ドラフト1位は扱いが良いのでしょう。球団としてはドラ1で獲得するほどの評価と期待をした選手を、サラリーマン、というのは面子が立たないとまでいいます。知名度は抜群ですしね。
18年10月22日、2019年から巨人の一軍投手コーチに就任することが発表された。2001年に退任して以来18年ぶりの巨人復帰となります。
試合時はブルペンを担当する。2020年シーズンは、巡回投手コーチ。2021年からは巨人スカウトの就任となる。
まとめ
テレビで水野が解説しているのをよくみますが、コーチとしてなぜ復活しないのだろうかと思いました。水野と原さんが仲悪いのでしょうか。
水野は甲子園のスーパースターであったため、目立つ場所になれており、華やかな生活に憧れるタイプに見えます。そんなところが、なんとなくコーチになれないようそだったりと思います。
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