佐々木朗希は、高校時代、岩手県立大船渡高校に通いながら、甲子園出場の夢を抱きながらも、最後の夏の大会で衝撃的な決断により甲子園出場を逃しました。
2019年の岩手県大会決勝、大船渡高校は花巻東高校と対戦します。しかし、大船渡の國保陽平監督は、エース・佐々木朗希を登板させず、チームは12-2で大差の敗戦を喫したのです。
陸前高田市立高田小学校3年生の時、地元の高田スポーツ少年団で野球を始めました。
2011年3月11日の東日本大震災の津波で父と祖父母を亡くし、実家も流されたため4年生時に大船渡市に移り住み、大船渡市立猪川小学校に転校し、地元の軟式少年野球団「猪川野球クラブ」に入部
項目 | 詳細 |
---|---|
氏名 | 佐々木朗希(ささき ろうき) |
生年月日 | 2001年11月3日 |
年齢 | 23歳 |
出身地 | 岩手県陸前高田市 |
身長 | 192cm |
体重 | 92kg |
投打 | 右投右打 |
血液型 | O型 |
背番号 | 17 |
所属 | ロサンゼルス・ドジャース(2025年) |
ドラフト | 2019年 千葉ロッテマリーンズ1位指名 |
経歴 | 大船渡高校 – 千葉ロッテマリーンズ |
特徴 | 最速163km/h、完全試合達成 |
愛称 | 「令和の怪物」 |
佐々木朗希はなぜ甲子園出てない?

佐々木朗希(ささき ろうき)は、岩手県立大船渡高等学校に在籍していました。彼は高校時代、特にその投球能力で注目を集め、163キロの速球を投げる右腕として知られていました。しかし、甲子園には出場していません。
登板回避の理由は、佐々木朗希は2019年の岩手大会決勝で登板しなかった。監督の國保陽平は、故障を防ぐために登板を回避したと説明しています。
前日の準決勝で佐々木は129球を投げて完投勝利を収めており、疲労が懸念されていた。
決勝戦で佐々木投手が登板を回避した背景には、國保陽平監督の「選手の将来を最優先する」という強い信念がありました。前日の準決勝で佐々木投手は129球を投げており、さらに骨端線が閉じていない身体的リスクがあったとされます。もし無理をさせて故障につながれば、将来のプロ入りを含むキャリア全体を台無しにしかねない――そうしたリスクを考慮した監督の決断でした。
理由は下記となります。
項目 | 詳細 | 理由 |
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故障予防 | 将来のプロ野球キャリアを守る | 若い投手の肩や肘への過度な負担を避ける |
骨端線リスク | 成長期の身体的制限 | 投球による骨端線への負担が成長に影響 |
監督の判断 | 長期的な視点での選択 | 佐々木朗希の将来性を最優先 |
医学的根拠 | 成長期の投手保護 | スポーツ医学的見地から過度な投球を制限 |
予防的措置 | 投球数と強度の制限 | 将来のメジャーリーグ挑戦を見据えた戦略 |
3年夏の県大会ではエース兼4番打者を務め、4回戦の盛岡四戦では公式戦での高校生投手史上最速タイとなる160km/hを計測しました。
選抜大会出場の盛岡大附を破った一関工業に準決勝で完封勝ちを収め、チームは決勝へ進出。
7月30日に行われた花巻東との決勝戦では國保陽平監督が「故障予防のため」という理由で投手・打者とも佐々木を出場回避させ、チームも敗れました。
これに対して佐々木の大船渡高校には苦情の電話が殺到し、野球関係者や評論家の間でも議論となり、メディアでも取り上げられるほど社会問題へ
2019年8月にはU-18代表に選出されたものの、大会前に右手の中指に肉刺(まめ)ができたため、登板したのは対韓国代表戦の1イニングにとどまった
高校野球選手権岩手大会決勝戦において、佐々木は登板することなくチームも花巻東高校に2-12で敗れ、大船渡高校はあと一歩のところで35年ぶりの甲子園出場を逃しました。
関連記事:國保陽平監督(元大船渡高校野球部監督)の現在?退任?批判クビ・無能が完全試合で英断の声
佐々木朗希の高校どこ?甲子園決勝?甲子園成績や出場?高校時代?

高校時代から「令和の怪物」
佐々木朗希投手は、高校時代に「令和の怪物」として大きな注目を浴びた逸材です。
しかし、地元の岩手県立大船渡高等学校に進学しながらも、甲子園出場の夢は果たせませんでした。なぜ最後の夏に登板回避という決断が下されたのか、彼の高校時代の経緯を振り返りながら詳しく解説していきます。
佐々木朗希が選んだ地元の岩手県立大船渡高等学校
佐々木朗希投手は、地元である岩手県の公立校・大船渡高校へ進学しました。
強豪私立ではなく、あえて地元の公立校を選んだのは、「生まれ育った土地で野球を続けたい」という思いもあったと言われています。
結果的に、大船渡高校のチームメイトとともに県大会で快進撃を見せ、多くの野球ファンを驚かせました。
甲子園出場を逃した岩手県大会決勝
2019年の夏、大船渡高校は岩手県大会決勝に進出。相手は県内屈指の名門・花巻東高校でした。しかし、試合は2-12で大敗を喫し、悲願の甲子園出場はなりませんでした。
最大の話題は、エースである佐々木投手が登板しなかったという事実です。
高校での目覚ましい活躍
実際に佐々木投手は高校2年生の時点で球速157km/hを記録し、大船渡高校を16年ぶりとなる県大会ベスト4へ導くなど、圧倒的なパフォーマンスを見せていました。
その姿から「令和の怪物」と呼ばれ、全国の野球ファンのみならずプロ球界からも注目を集める存在に。甲子園出場こそ叶いませんでしたが、その実力は多くの人の目に焼き付けられました。
最後の夏に投げなかった國保監督の決断
決勝戦は、前日の熱投からわずか中1日ということもあり、國保監督は佐々木投手を温存。結果として大船渡高校は大差で敗れてしまい、佐々木投手の甲子園出場の夢は潰えました。
しかし、この決断は「選手の未来を守る」という新しい指導者像を示す大きな出来事として、今なお語り継がれています。
高校野球界に与えた衝撃と影響
優勝をかけた最後の舞台でエースを登板させないという前代未聞の采配は、高校野球ファンやメディアを巻き込んで大きな議論を呼びました。
一方で、監督の判断を支持する声も多く、「選手ファースト」の理念がより注目されるきっかけにもなりました。実際、その後の佐々木投手はプロ入りし、故障なく成長を続けています。
佐々木朗希投手が甲子園のマウンドに立つ姿は見られませんでしたが、その決断によって故障を回避し、プロでの成功につなげたことは間違いありません。
まさに高校野球界にとって、新しい時代の到来を象徴する出来事だったと言えるでしょう。
佐々木朗希の大船渡高校時代野球部1年時代
高校進学に当たっては県内外から声がかかったが、地元で甲子園を目指したいという思いから県立大船渡高校に進学します。
1年夏の県大会で公式戦デビューを果たし、147km/hを計測します。
同大会はこの1試合の登板のみでチームは3回戦で敗退しました。
佐々木朗希の大船渡高校時代野球部2年時代
2年夏の県大会では初戦に154km/hを計測したが、外野手として出場した3回戦の西和賀戦でチームは敗退します。
2年秋の県大会では高校2年生史上最速タイとなる157km/hを計測。
2019年4月6日、佐々木は高校日本代表候補による研修合宿の紅白戦で、球場の表示ではなく非公式ながら中日ドラゴンズのスカウトのスピードガンで163km/hを計測したとされています。
これは大谷翔平が持っていた当時の高校生最速記録である160km/hを3km/h上回るもので
このように速球で大きな注目を集めた佐々木は『令和の怪物』と称され、また奥川恭伸・西純矢・及川雅貴と共に、この年の『高校BIG4』と呼ばればした。
佐々木朗希の高校時代の球種成績は?

成績は?
高校時代に岩手県大会・盛岡四高戦の延長12回に、決勝本塁打を打つなど打撃センスもひかりました。
50メートル走5秒9です。甲子園の成績は後述します。佐々木朗希は甲子園には出場できませんでしたが、高校時代に圧倒的な投球成績を残しました。
項目 | 数値 | 詳細 |
---|---|---|
試合数 | 17試合 | 高校3年時の公式戦 |
投球回数 | 100.1回 | 平均1試合あたり約6回 |
被安打数 | 55 | 1試合あたり平均3.23安打 |
奪三振数 | 158 | 1試合あたり平均9.29奪三振 |
四死球 | 36 | 1試合あたり平均2.12四死球 |
失点 | 20 | 非常に低い失点数 |
防御率 | 1.44 | 極めて低い防御率 |
被安打率 | 4.93 | 低被安打率 |
奪三振率 | 14.17 | 非常に高い奪三振率 |
四死率 | 3.23 | コントロールの高さを示す |
球速
佐々木朗希の高校時代の球速は、驚異的な成長を遂げました。高校1年時は147km/hでスタートし、高校2年時には154km/hに達しました。
そして高校3年時には、高校生史上最速となる163km/hを記録し、野球界に衝撃を与えました
。高校3年時の投球は、スライダーが主体の変化球構成となっていました。4月に163km/hの驚異的な球速を記録した後、戦略的にカーブとチェンジアップの使用頻度を増やしていきました。
特に仙台育英や佐久長聖との練習試合では、あえて緩めの変化球を中心に投じることで、打者の予測を裏切る戦略を展開していたのです
この驚異的な球速と変化球の巧みな操作は、プロスカウトたちの注目を集め、将来のメジャーリーグ挑戦への期待を高めることとなりました。
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球種は?
持つ球種として、スライダー、フォーク、カーブがある。
フォークはスカウトから高く評価されていました。。また、フォークも最速150km/hを計測していました。
佐々木のストレートの握りは中指と人差し指をくっつけた独特な握りであり、過去に藤川球児らがこの握りでストレートを投げていました。
この握り方はいわゆる一般的なストレートの握りと異なるもので力を集中させやすい反面、制球をしにくい握り方であるとされています。
まとめ:佐々木朗希はなぜ甲子園出てない?高校どこ?甲子園決勝?甲子園成績や出場?高校時代?
いかがでしょうか。
【佐々木朗希はなぜ甲子園出てない】甲子園出場?高校時代? 球速落ちたや成績!ろうきについてお伝えしました。
ピッチャーは大衆娯楽の為の消耗品じゃないんじゃないんですね。
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