坂本選手は青森県の八戸学院光星高校(現・八戸学院光星)に進学しました。
1年生の秋からショートのレギュラーとして活躍し、3年生の春には選抜高校野球に出場しています。
2006年3月25日の選抜高校野球1回戦では、4番・遊撃手として出場します。5打数3安打1打点の活躍を見せましたが、チームは4-6で敗れました。3年夏の青森大会では決勝まで進みましたが、青森山田高校に4-5で敗れ、甲子園出場はなりませんでした。高校時代の坂本選手は、やんちゃな一面もあったようです。1年生の年末年始に鼻と耳にピアスをして野球部に戻り、退部寸前まで話が進んだこともありました。
身長は186cm、体重は85kgで、ずば抜けた実力を持っていたと言われています。
項目 | 内容 |
---|---|
名前 | 坂本勇人 |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県 伊丹市 |
生年月日 | 1988年12月14日 |
年齢 | 35歳 |
身長 | 186cm |
体重 | 83kg |
ポジション | 内野手 |
投打 | 右投右打 |
プロ入り | 2006年 高校生ドラフト1巡目 |
所属チーム | 読売ジャイアンツ |
年俸 | 6億円(2024年) |
坂本勇人の高校時代は!出身高校どこ?!高校通算本塁打成績?身長を調査
坂本勇人は青森の光星学院出身
本勇人は兵庫県伊丹市出身のプロ野球選手で、八戸学院光星高等学校に通いました。この学校は青森県に位置し、野球部が非常に強いことで知られています。坂本は高校時代からその才能を発揮し、1年生の秋から遊撃手としてレギュラーの座を掴みました。彼は高校通算で39本塁打を記録し、第78回選抜高等学校野球大会にも出場しました。この大会では、1回戦で敗退したものの、坂本自身は5打数3安打1打点という素晴らしい成績を残しました
坂本勇人は青森の光星学院出身です。現在は八戸学院光星に名前が変わっています。
八戸学院光星は関西からの野球留学の選手が多く大阪第2代表なんて揶揄されることもあります。
1年秋からショートのレギュラーやホームラン
八戸学院光星高校では1年秋からショートのレギュラーとなります。
高校1年の秋からショートストップのレギュラーを務め、3年春の選抜高校野球に出場しました。この大会で坂本選手は、4番・遊撃手として出場し、5打数3安打1打点の活躍を見せましたが、チームは敗退しました。
坂本勇人は高校時代に39本塁打を記録しています。
身長は
坂本勇人の身長は186cmで、彼のプレースタイルや守備範囲に大きな影響を与えています。この身長は特に遊撃手としての守備において有利であり、広い守備範囲を持つことが可能で
坂本勇人の高校時代の同級生メンバーを調査
坂本勇人選手は、1988年生まれのプロ野球選手で、「1988年組」または「ハンカチ世代」と呼ばれる世代に所属しています。
選手名 | ポジション | 所属チーム |
---|---|---|
田中将大 | 投手 | ニューヨーク・ヤンキース |
前田健太 | 投手 | ロサンゼルス・ドジャース |
秋山翔吾 | 外野手 | シンシナティ・レッズ |
柳田悠岐 | 外野手 | 福岡ソフトバンクホークス |
梶谷隆幸 | 外野手 | 読売ジャイアンツ |
會澤翼 | 捕手 | 広島東洋カープ |
大野雄大 | 投手 | 中日ドラゴンズ |
坂本勇人の高校時代の監督は誰
坂本勇人は高校で金沢監督に出会う
金沢監督が坂本勇人を初めてみたのは中学時代だそうです。
当時から将来的にプロにいける才能があると実感したという。
「打撃はティーしか見られなかったんですけど、そのティーを見た瞬間やサイドノックを見た時のハンドリングの良さ。それを見て、必ずプロにいくなというのは瞬間で感じたことはよく覚えています」
そして光星学院に進み、金沢監督はますます坂本の打撃の才能に惹かれる。
「本当に体の線は細かったんですけど、リストが柔らかく、体には似つかわしくない飛距離がありました。教えたのは、タイミングのとり方は教えただけ。あとは彼の感性に任せました」
坂本といえば、インコース打ちの上手さだ。
その点について金沢監督は当時からあった癖が生かした事が大きいという。
「彼の場合、左の肘が空く癖があって、本来であれば、直したほうがいいと見る人がいると思います。私はそれを彼の特徴として捉えて、アッパースイングに近かったので、それを壊さずに指導していたら、たまたま肘が空くことバットを入れられる長所になったのではないかと思います」
坂本勇人はヤンチャな高校時代
順調に成長を遂げる坂本だが、ある事件が起こる。これは有名となった退部事件だ。2月冬でのこと。金沢監督は坂本の異変に気づく。
「彼は高校生の時から先を読んだり、大人たちの人間性を見たりすることができる選手。ミーティング時、いつも彼は後ろにいるのですが、私の目の前にいるんですよね。見たら、鼻にピアスをしていたんです」
本来であれば、怒鳴り散らす場面。だが、金沢監督はなにかあると思い、坂本に帰宅を命じた。坂本を留めるために、金沢監督は動く。
「私は坂本に特に怒ることなく、部屋に呼んで、「辞める気なのか?」と「はい」と。それで帰させたのですが、彼が飛行機で伊丹に向かっている間。彼の家族や知り合いにお願いをして、『まだこんなところで終わる選手ではない』と説得をお願いしました。そうすると1週間後に彼は戻ってきました」
2006年3月25日、選抜高校野球1回戦で岡山県代表の関西高校と対戦し、3年生の坂本は4番・遊撃手として出場した。
1打席目は左適時打。2打席目はファウルフライ。3打席目は右安打を放ち、盗塁に成功する。4打席目はセンターフライ。5打席目は左安打で出塁して、再び盗塁に成功。5打数3安打1打点の活躍を見せたが、チームは4-6で敗れている。
高校時代は、不動の4番ショートとして活躍していましたが、甲子園出場は選抜1回だけであり、全国に「坂本勇人」の名前は広まらなかったかもしれないですね・・
堂上直倫(愛工大名電)・野原将志(長崎日大)が注目を浴びていた年ではあるが、坂本の評価はどうだったのでしょうか。
坂本勇人は甲子園での活躍は一回だけ
06年の春の選抜で初めて甲子園に出場しました。
初戦でダース・ローマシュ匡(元・日本ハム)擁する優勝候補の関西(岡山)と対戦。このプロ注目の好投手から1回裏にいきなりレフト前へ先制タイムリーヒットを放ちます。
初球の甘いカーブを見逃さない思い切りのいいスイングで勝負強さを見せつけた。5回裏の第3打席ではライト前ヒット、9回裏の第5打席ではショートへの内野安打と猛打賞の活躍。さらに2盗塁も決めている。試合は4-6で敗れはしたが、プロ注目の投手からチームが放った6安打のうち半数が坂本。その存在感を示してはいました。
ただ、坂本にとっての甲子園はこの1回だけに終わっていたのです。
まとめ:坂本勇人の高校時代は?同級生?成績や監督は誰を調査
いかがでしょうか。
今回の記事は坂本勇人の高校時代は?同級生?成績や監督は誰を調査についておつたえしました。
原辰徳が使い続けたことがよかったのでしょうか。まさに巨人が生み出した生え抜きですね。
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